イベルメクチンは、犬のフィラリア予防などで長く使われてきた薬です。非常に安全性の高い薬ですが、コリーやシェルティなど一部の犬では、高用量を投与すると神経症状を起こしやすいことが知られています。
この違いを調べていくと、薬を脳から守る「P糖タンパク」という重要な仕組みにたどり着きます。
執筆:圓尾 拓也(腫瘍科認定医・獣医学博士)
イベルメクチンは土の中から見つかった
イベルメクチンの始まりは日本です。
北里研究所の大村智博士が、静岡県伊東市川奈のゴルフ場付近で採取した土壌から放線菌 Streptomyces を分離しました。この菌株を米国メルク社のWilliam C. Campbell博士らが調べたところ、非常に強い抗寄生虫作用を持つ物質を作ることが分かりました。
そこからアベルメクチンが発見され、さらに改良されてイベルメクチンが誕生しました。
当初は動物の寄生虫駆除薬(投与量200μg/kg)として使われましたが、犬のフィラリア予防(投与量6μg/kg)にも有効であることが分かり、現在まで広く使用されています。
人のオンコセルカ症にも有効であることが分かり、1987年からメルク社は必要な地域への無償提供を開始しました。こうした功績により、大村智博士とCampbell博士は2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
私が思う20世紀最大の犬の薬害問題
イベルメクチンが使われるようになると、コリーの一部で投与後に散瞳、ふらつき、沈うつなどの神経症状が起こることが知られるようになりました。
当時、正式なフィラリア予防薬として発売されておりませんでした。ハワイで豚用のイベルメクチンを買ってフィラリア予防用に薄めて使用していました。カイセン対策は200μg/kgであったものをフィラリア予防の6μg/kg用に薄めるわけですが、よく効くように濃くしたのでしょう。多くのシェルティ、コリーが亡くなったと聞いています。
私は、この出来事は20世紀の犬の薬物治療を考えるうえで、非常に印象的な薬物有害事象の一つだと思っています。
現在では、コリー、シェットランド・シープドッグ、オーストラリアン・シェパード、オールド・イングリッシュ・シープドッグなど、複数の犬種でABCB1遺伝子の変異が知られています。
ただし、犬種だけで決まるわけではありません。同じ犬種でも変異を持つ犬と持たない犬がいます。
原因はABCB1(MDR1)遺伝子だった
2001年、イベルメクチンに強い感受性を示すコリーでは、当時MDR1と呼ばれていたABCB1遺伝子に変異があることが報告されました。
この遺伝子が作っているのが「P糖タンパク」です。
P糖タンパクが正常に働いていれば、イベルメクチンなどの薬物が脳内へ入り込みすぎないように排出してくれます。ところが、この働きが弱い犬では薬が脳内へ入りやすくなり、神経毒性が現れます。
つまり、イベルメクチンそのものがコリーだけに特別な毒なのではありません。
薬を脳から追い出す仕組みに違いがあることが原因です。
ABCB1(MDR1)遺伝子検査のススメ
現在では、ABCB1遺伝子に変異があるかどうかは遺伝子検査で調べることができます。
ただし、フィラリア予防に使用される通常量のイベルメクチンは、ABCB1変異を持つ犬でも安全性が高いとされています。問題になりやすいのは、寄生虫治療などでイベルメクチンを高用量使用するときです。
また、ABCB1が関係する薬はイベルメクチンだけではありません。ビンクリスチンやドキソルビシンなどの抗がん剤を含め、P糖タンパクによって運ばれる薬は複数あります。
そのため、コリーやシェルティなどABCB1変異の頻度が高い犬では、「イベルメクチンを使えるか」を調べるだけでなく、今後の薬物治療全体に役立つ情報として遺伝子型を知っておく意味があります。
では、このP糖タンパクは、そもそも何のために存在しているのでしょうか。
実はこの仕組みが、抗がん剤の「薬剤耐性」にも深く関係しています。
